いよいよ、国産のさくらんぼが、出回ってきました。
アメリカンチェリーのピークも過ぎた頃、
国産品が出回ってきます。
とは言うものの、時期的に、あまり長くありません。
お見逃しなく。
画像のさくらんぼは、一般的にお店の店頭で販売されているタイプです。
今の時期は、お中元のシーズンでもあり、
贈答用の特選品も、
ありますから。
貴重な存在である国産さくらんぼ、
今が、旬、ですね。
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<佐藤錦のお話>
1912年に「ナポレオン」と「黄玉」が交雑して生まれたと考えられる日本生まれの品種です。
6月中旬から下旬にかけて熟します。形は短心臓形で大きさは中くらい、
果皮の色は黄色地に鮮やかな紅色で「赤いルビー」と呼ばれています。
果肉は乳白色で、果肉、果汁ともに多くて甘みと酸味の調和がすばらしく、
品質は国内最高級です。
1990年頃から「ナポレオン」をしのいで生産量も1位となり、
今では名実ともに日本のさくらんぼの代表品種となっています。
名前は育成者の山形県東根市の佐藤栄助氏にちなんだものです。
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<佐藤錦の誕生秘話>
20世紀の最高品種といわれる「佐藤錦」はこうして生まれた!
山形県におけるさくらんぼの栽培面積は、約2,500haである。
このうち、品種構成では「佐藤錦」が約8割を占めている。
昭和50年代までは、加工向け生産がほとんどであったため、
果肉が固く豊産性のナポレオンを中心に栽培され、
佐藤錦は雨による実割れが多いため、一部生食向けに栽培されている状況であった。
山形県は、梅雨時の降雨が全国で最も少ない地域ではあるが、
それでも降雨は避けられないため、
赤く熟す前の「黄色いさくらんぼ」を収穫していたのである。
昭和60年代から、パイプハウスの屋根部分にビニールを被覆する「雨除けハウス」が普及すると、完全に熟すまで収穫期が延ばせるため、佐藤錦本来の真っ赤で美味しい食味が出せるようになり佐藤錦への改植・新植が進み、今日の王座を築いたのである。
佐藤錦は、大正始めに東根市で生まれたが、その誕生秘話を紹介しよう。
東根町三日町に生まれた佐藤栄助氏は、明治41年に株投資に失敗して家業(醤油醸造)を廃業し、家屋敷を整理し松林を開いて果樹園経営を始めた。
明治のはじめに、時の政府は欧米から輸入した桜桃(さくらんぼ)を全国20県に配布し、栽培を試みたが、収穫期が日本特有の梅雨の季節と重なるためことごとく失敗し、山形県内で細々と試作されているに過ぎなかった。
栄助氏は、この苗木数種を買い取り、自分の果樹園に植裁し、当時開通したばかりの鉄道により関東方面に出荷できないかと考え、甘いが果肉が柔らかく保存の利かない「黄玉」と、酸味は多いが果肉が固く日持ちがいい「ナポレオン」を交配し、大正元年ころに質の良さそうな20本を選抜した。
さらに育成試験を繰り返し、大正11年に「食味も日持ちもよくて、育てやすい」新品種の育成に成功し、栄助氏の友人である現・(株)天香園(苗木商)初代、岡田東作氏はこの新品種の将来性を見抜き、昭和3年に佐藤栄助氏の名を取って「佐藤錦」と命名し、世に送り出したのである。
栄助氏は、「出羽錦」との案を出したが、初代、東作氏は「発見者の名前を入れた佐藤錦がいい」と押し通したといわれており、新品種の育成からおよそ80年、今もさくらんぼの王様に君臨する比類なき特性を持つ「佐藤錦」によって、今日の果樹産業の隆盛を築いたといえるのである。
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